伊新学校の時計・・・古時計よもやま話
古時計の概要
名称
八角型
年代
1880年以前
製造
ニューヘブン(アメリカ製)
文字盤
12インチ
サイズ
高さ:61cm
その他
時打ち、

出展者
戸田如彦

愛知県幡豆郡
第五十二番小斈
伊新学校

幡豆郡五拾弐番
伊新学校
什器
明治三十九年  ・・・修理の年月と時計店
九月吉日直之
安原時計店
[事実は小説より奇なり]

 2009年4月の下旬、第一回「日本古時計保存協会」会合が瀬戸市の古民家で開催され友好的かつ有意義に会運営がなされ初めて顔を合わせる人達が挨拶する姿があちこちで見られました。

 その中、会員による交換会が催され多数の古時計が持ち込まれ交換会が進行、会員の原川さんが持ち込んだニューヘブン12吋合長に目が止まった。

 ごく普通の見慣れた八角でもあり会員も余り興味を示さない様子で、話題にのぼるような気配はなかつたが、何か違う雰囲気を持っており、私はいつもの様に時計を裏返した。するとこの時計背板に書かれた文字が目に飛び込んで来たのと同時になぜか不思議な感覚を覚えたのである。

 「伊新学校」と大きな墨書きでいかにも自分を主張し存在をアピールしているかのようで、しかも威厳がある書体に圧倒された。

 歴史をもつ物は人に訴えるオーラを出しているもので、長い年月をたどって来た物だけに備わった独自の感覚は訴える力があるようで、それは一種の霊力の様なものであろうか、明治初期文明開化の申し子とも云うべき西洋時計、明治の人達は遠く外国からやってきた機械に驚きと憧れ、そして文化の香りを十分に受け遠い異国に思いを馳せたであろうこの時計。

 江戸から明治へと時代は急激に変化をとげはしたが、日常生活の上ではまだまだ江戸時代の習慣が染み付いていた時代、日の出と共に仕事をし日没と共に仕事を終える生活から西洋の分刻みの時間にはやはり戸惑いがあったであろう。

 この時期新政府の意向で西洋に追いつこうと近代化を進め、その一環として官公庁に西洋時計を導入、小学校にもいち早く大人より子供たちの方がその洗礼を受けることになったのである。

 明治初期、文明開化の申し子と云われた時計が遠くアメリカから日本にやってきて子供たちとの時間を日々刻みどのような数奇な運命をたどったのか、それを検証して見よう。

 この時計の背板に書かれた文字をたよりに明治時代にタイムスリップしてその運命を探ってみると思わぬ事実があるかも知れないと思うとやはりわくわくするものを感じるのである。

 「愛知県幡豆郡 第五十二番 小斈」と「伊新学校」の文字、これだけしっかりとした事実認定があるから直ぐに実態が分かるはずと、さっそく会員の中村さんと調査に入った。

 中村さんの友人が幡豆に在住しており、友人宅のある幡豆で聞き込みをはじめたが、現実はそんなに甘くはなく早く解明することはできず当初から壁にぶつかることになる。

 「伊新学校」と幡豆郡、場所も名前も分かっていることから謎は直ちに解けると思ったのが短絡過ぎたのか。

 中村さんの友人や他の方にも聞いてもらったが「伊新学校なる所在は聞いたこともない」と云う返答が返ってくるだけで実態がつかめないまま不明で、幡豆に行けば直ちに謎が解明されると気安く思ったのが間違えであった。

 考えて見れば100年以上前の所在がそんなに簡単に解明できるはずもなく学校名だけではやはり無理であることに二人して改めて気付かされたのであった。

 そして数日が過ぎ、中村さんの友人から調査の結果が出たとの吉報があり中村さん宅に出向き調査の内容にまたビックリする。

 ここで「伊新学校」のおいたちを検証してみると次のとうりになる。

明治維新後 この所在地は「額田県幡豆郡」に所在
明治5年 「愛知県幡豆郡」に改められる。
明治5年8月 学制発布
明治9年5月 村名学校制
明治13年5月 愛知県幡豆郡新渡場村、伊藤・新渡場の両地区の小学校として「伊新学校」が開校する。
新渡場の「新」、伊藤の「伊」を取り「伊新学校」と命名する。
明治15年11月 学区改正する。
「伊新学校」第六学区公立小学となる。
明治18年6月 「伊新学校」は戸ケ崎村の栂崎小学校(第五学区公立小学)に吸収合併される。
明治19年4月 小学校令、尋常小学校施行
明治20年4月 栂崎学校と雲母学校(第三〇学区公立小学)が合併、尋常小学戸ケ崎学校となる。
明治25年8月 尋常小学戸ケ崎学校から久麻久尋常小学校となる。
明治28年5月 久麻久尋常小学校から東久麻久尋常小学校が分離し二つの学校となる。
明治33年 小学校令改定
明治36年4月 久麻久、東久麻久の両校が合併、久麻久村立久麻久尋常高等小学校となる。
高等科の三・四年は西尾尋高校へ
明治39年5月 町村合併に伴い、9月、西尾町立西尾第二尋常小学校と分離する。

 「伊新学校」とあるのは明治13年5月から明治18年6月まで開校期間5年1ヶ月で閉校になっていた小学校であった

 以上の様に「伊新学校」を取り巻く世間情勢は目まぐるしく変化して二転三転どころではなく、明治時代の大きな波にほんろうされつづけ奇想天外にさえにも思える。

 伊新学校は明治18年に戸ケ崎村栂崎小学校に合併したのち、明治20年には雲母学校と合併する。この時点で普通に考えると一校に一台の時計が有ったと思われるから3台が合併した尋常小学戸ケ崎学校に揃うはずで、さらにこの伊新学校の時計が、明治28年に二つに分離した久麻久小学校・東久麻久小学校のどちらへいったのか・・・・・

 明治39年9月には伊藤地区一円は西尾尋常小学校の学区になり、この時点でこの「伊新学校」の時計はどこへいったのか、ますます奇想天外、波瀾万丈の運命をたどっている。

 この様な情勢の中「伊新学校」と書かれたこの時計からどう云う経路をその後たどったであろうか定かでないが、静岡の会員、原川さんからの手もとに入り、そして100年余りの時を経てから愛知県へ戻ってきたわけであるが、事実は奇想天外、幾多の遍歴をどのようにこの時計は語りたいのか、その心を読み取れたらと思う。

 最後に、今回のような時計を保存し後世に伝えるのも「日本古時計保存協会」の目的の一つであり、保存すべき時計や資料をどのような方法で発掘〜検証〜保存していくのかも今後の協会の課題でもある。

 ごく普通の八角型の外国からの古時計一個が日本に渡り、かくも奇想な運命をたどったと思うと、しかるべき所に安住の地を定めてやりたいと思う。

・・・・・戸田如彦

【地名等の読み】

伊新学校 いしんがっこう
額田 ぬかた
幡豆郡 はずぐん
久麻久 くまく

<追記>

  • 2009年11月12日、伊新学校のあった西尾市に寄贈するため、西尾市の岩瀬文庫に出向き、無事時計を受け渡してきました。
  • 今回の時計の寄贈は、NHK名古屋放送局の方でも取り上げていただくことになり、寄贈時の状況を11月17日(火)PM6:10から始まる「ほっとイブニング」の番組の中、2分程度にまとめた動画が「ほっとニュース」で放映されました。
  • 時計の保管場所は岩瀬文庫内の文化財収蔵庫となり、資料館で時計展を開催する際に移動し公開するようです。
  • 西尾市教育委員会文化振興課文化財の担当の方に送っていただいた西尾市岩瀬文庫蔵の古地図、明治10年版の「尾三両国全図」や明治21年版の「碧海郡図」には残念ながら「維新学校」の名称は見あたりません。

東久麻久尋常小学校(現八ツ面小学校)

久麻久尋常小学校(現八ツ面小学校に統合)
岩瀬文庫内の文化財収蔵庫に収蔵された時計
西尾市岩瀬文庫の外観
周辺マップ

※3枚目の古地図は西尾市岩瀬文庫蔵の明治10年版の「尾三両国全図」小田切春江画

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2009/11/15